バーニングシフト4 あるいは総論

これから書くことは、文章が重複していたりして、とにかく、まだよくまとまっていない。分類も、バータレ総論の、バータレの本質的な傾向に入れるか、あるいはマスコミの傾向として、バーニングシフトの4番目としていれるか、どちらが適当か、まだ定かでない。・・・・まとまり次第、整理しようと思う。

バータレの種類

バータレには二種類いると思う。一つ目はバータレの典型的な例で、大衆路線のど真ん中を行くタイプ。いわば大衆バータレ。もうひとつが、前者とまったく対照的なタイプのバータレで、いわば、スペシャリストバータレとでも言うべきタイプである。そして、いわば聖と俗の世界を、それぞれ受け持っている。前者は今までさんざん言ってきたからよいとして、今回は後者について少々・・

スペシャリストバータレ

傾向:彼らは、規定打席に達していない

レギュラーと比較しての、補欠とたとえたらいいか、彼らは、質はともかく、”量”が圧倒的に足りないのである。人気もない、注目もされていない、仕事も少ししかしていない。そのため、アタリの仕事も無い。しかしながら、それゆえに、失敗もスキャンダルも、量をこなしている非バーニングに比べて、目立つ事は無い。


マスコミでの彼らの評価は、やたらと高い。だが、大衆バータレとは違って、マスコミのフィルターを除いた、実質的な技量、作品のアベレージや演技力などの質的なものは、非バーニングのメジャーどころのタレントと比べて極端には違わない。少々劣っているというくらいであろう。


しかし芸能界では、間にマスコミというものがあるがゆえに、容易に質の評価で逆転できてしまうのである。大衆バータレと違って大差がないだけよけいである。補欠バータレがレギュラー及第点となり、逆に、レギュラー非バーニングが、ボーダーラインの下に沈むこととなる。


質は大差ないとしても、本来ならば、成功の”量”ということにかけては、レギュラー=非バーニングのほうが、補欠バータレを大差で引き離している・・・はず。マスコミは、この、非バーニングが唯一勝っているフィールドにおいて、彼らを高く評価してもいいはずだ。だが、勝負させてはもらえない。バーニングシフトがあるからである。マスコミが、偏向により、非バーニングの”大量の勝ち星”をスルーしてしまえば、目立つものといえば、彼らの圧倒的な失敗数の多さ、反して、補欠バータレの失敗の少なさのみになる。


といううわけで、報道において、非バーは全敗するしかないのである。そして、これにより、大衆は、彼らより、補欠バータレの方が、なんとなく良質であるかのような錯覚をうけてしまう。

野球の成績表との比較

量が少なければ、量を多くこなしているものに対して、アベレージなどの質的なもので優位にたつのは容易であろう。たまたま一試合だけ出て、5打数5安打の成績を上げた準レギュラーが、レギュラーの年間打率より、質の面で圧倒的に勝っているのは当然である。だが、これらを、同じ土俵に挙げることに、違和感を持たぬ野球ファンはいないだろう。

A:アベレージは並で、レギュラーとしては及第点、
だから試合で多く使われる。
多く負け(凡退し)ているし、多く勝って(打って)いる

B:アベレージは、レギュラーとしては、ややラインに達していない。
だから、出場試合数が少ない。あるいはアベレージはいいのだが、
なにぶん日が浅く、サンプル数がすくないため、
レギュラーかどうかは、上は、まだなんとも決めかねている状態。
数的には、あまり勝って(打って)いないし、負けて(凡退して)もいない

芸能人で言えば、Aが非バーニングのメジャーどころ(レギュラー)、Bがスペシャリストバータレ(補欠)に当たる。

アベレージとの差が僅かでも、それらが、レギュラーラインの上、一方はその下という微妙なライン上にあるならば、量で圧倒的な差がつく。質差が僅かならば、当然、Aの、凡打や敗戦などの失敗率は、補欠と大差ない。しかし、失敗の量は圧倒的に多くなる。当然、それはBに比べて、はなはだしく目立つものとなる。


勝率、アベレージ、あるいは利回りという質的なものと、打点、勝ち星という量的なもの、また量的なものの到達数にかけられる、レギュラー、規定打数、売上高という、フィルターとの関連性。野球ファン、あるいはギャンブルに詳しいものは、これら質と量との関連性を、日ごろからデータを見ていることによって、感覚的に理解している。だから、補欠をレギュラーと比較して、失敗が少なかったり、率において多少上回っているということをあげつらって、彼らをレギュラーを比較して優れているなどとは決して主張しないし、芸能マスコミのように、揚げ足とってはやし立てても、騙される者など、一人もいない。


率で勝っていても、サンプル数の少なすぎる物とそうでないものとは、同じ土俵に挙げることは出来ない・・規定打席などのフィルターにより、量の少ないものは、質的な比較の対象から、はなっからはねられる。前述したように、”シーズン末期に一試合しか出なかった、パッと出の五打数5安打と、年間通しての三割打者を、打率で直接比較する者などいないし、前者を後者が率で遥かに劣っているからといって、馬鹿にしたりなどしないし、レギュラーであるべき人材なのに、奴らがのさばっているため、活躍できない・・・くそー!などと嫉妬したりもしない。当然、マスコミがそういう心理を煽ることも、出来ない。


とにかく、相撲の星取表、野球の成績表、出目表、四季報などの数字は、間に誰も入ることができないのだ。しかし芸能界はどうだろう・・・・

芸能界は・・といえば

芸能界だって、負けず劣らず、数字はシビアに出てしまうはず。少なくとも現場は・・・ギャラと売上の見込みの兼ね合い、演技力=NGの少なさによる拘束量、撮影経費のコスト、ケツカッチンによる超過支出・・・数値化できるパラメータはいくらでもある。しかし、そんなものは、大衆には、数字にされて届きやしないのだ(っていうか、届けたとしても、誰一人興味を持たないだろう)。


かわりに大衆に届けられるものといえば、興行的には厳しそう・・スポンサーも離れ気味・・・・逆に、最近●●に目が離せない・・・注目度上昇中☆☆☆(↑)・・・”といった、曖昧模糊としたもののみである。当然、こんなものは、マスコミが、好きなだけフィルターしている。


ということで、非バーニングAの勝ち星の多さ、バーニングBの勝ちの少なさが隠蔽され、逆にAの負け数の多さ、Bの負けのすくなさ、加えてBの勝率の高さも不当にクローズアップされる。アベレージはもともと大差なかったため、これで容易に率(質)が逆転してしまうのだ。

これにより、大衆は、率(質)に劣っているはずのレギュラーが、勝っているはずの補欠を押しのけているような錯覚を覚えてしまう。そのため非バーにたいして、憤懣やるかたない・といった感情、あるいは嫉妬感に襲われやすい。マスコミに、まんまとのせられてしまうわけだ。

マイナスが他のプラスになるのは、限界近くまでコストやエネルギーを配分した場合のみである

バータレの手法を一言で言えば、スペシャリスト錯覚とでも言うべきか、ただ単に量をこなしていないマイナー、あるいは失敗しそうなので他の分野をやっていない臆病者、あるいは実際に失敗している敗残者であるだけなのに、いかにもひとつの道を突き進む求道者であるかのように、大衆に思わせる手法である。

他の道をやっていないからその道のスペシャリスト、なぜ消去法でしか考えないのだろうか。なぜ、横綱相撲を取る者をみとめないのだろう。本格派女優といわれるのは、トークがヘタで、CMやバラエティーに出ていないからではなく、演技がうまいからである。映画女優といわれるのは、舞台やテレビドラマに出ていないからではなく、映画で映える演技をしているからである。本格派シンガーといわれるのは、ブサイクなのでアイドル性に欠けるからではなく、歌が上手いからである。体格が劣っているから、技巧派力士ではない。他がゼロあるいはマイナスだから、プラスではないのである。



演技を見たことのない素人は、”他で劣っている(やっていない)””一筋”のほうがなんとなく上手いと思ってしまう。真相は、演技はヘタ、インパクトもなし。でも、そんなんじゃ、当然人気も出ないだろうから、CMや歌手活動はなおさらやれないだけである。


だが、こんなのに騙されるのは、素人だけなんである。当たり前だが、こんな小細工など、ちょとでも実情を知っている玄人連中には通用しない。データに精通している野球ファンやギャンブルツウが騙されないのと同じである。

しかし、これからドラマや映画の世界に入ろうとしている、初心者=素人はどうだろう。どこから”とっかっかる”だろうか?

玄人は一種類しかいないが、素人には二種類ある。ひとつは、玄人の評価を知らないので、想像やマスコミの評価などで、おぼろげながらタレントの玄人評を思い描いている”素人1”、もうひとつは、玄人の世界というものがあること自体、知らない”素人2”である。バーニングは、両者の対応をはっきり分けている、あるいは、両パターンを、時と場合によって、上手い具合に使い分けているような気がする。両者の対応版、スペシャリストバータレ、大衆バータレの両者とも、その実、素人にも、玄人にもウケていないのは同じなのだが、イメージのつけ方、素人の”釣り方”が全く違う。


素人1

玄人はわからんが、素人うけしていないことは誰しもが納得する、メジャーでないバータレを、いかにもツウ好みのタレントであるかのような、スペシャリストイメージをつけさせる(=スペシャリストバータレ)。そして、玄人の評価を知らない(あるいはいいようにイメージしている)素人1をだまして”釣る”

連中は当然素人であるからして、玄人の評判というものが、どのようであるかはわからない。他人の評価を参考に、何となくいいようにおもいえがいているだけである。こういうひとたちにとって、一見、素人うけもしていないのに、何だかんだで芸能界を生き残っている彼らは、いかにも、玄人にはうけてそうな感じがするものなのだ。


マスコミも、そういう風に誘導する。しかし、当然ながら、玄人はこんなことではだまされない。

玄人は、ドラマや映画を見たことのない素人にとっては、歌手やCMタレントのイメージが強い人でも、案外、演技のほうも上手いことを知っている。逆に、素人の間では、他のジャンルを一切やっていないため、一見、玄人うけするスペシャリストと思われている者でも、実際、”本職”の演技力のほどは、言われるほどたいしたことないことも知っている。


一方、素人1はあっさり釣られてしまう。こういう人種はえてして、(本当は知りもしないのに)いかにもツウ好みを気取って、いっちょ、スノッブ路線で決め込もうかいな・・・と、いかにも格好のネタのように思える、スペシャリストバータレネタを引っさげて、”掲示板デビュー”を試みる。

しかし、いざのぞいてみると、予想と実際とあまりの違いに、愕然とする。彼ら、ツウの評価どころか、反応そのものが全くないのだ。

彼らは、たしかに駄作は少ないが、見るべきものも少ない。最終的には、非バータレに代表される人間は、量をこなす、あらゆることに秀でたオールラウンダー、いわゆるメジャーどころ、一流で、一方の、いかにもツウ好みのスペシャリストバータレ連中は、スペシャリストどころか、ただ単に劣っているだけのマイナー、二流。あるいは他に挑戦していない臆病者・・・と気が付き、ようやく、素人から脱却することとなる。


素人2

2は、逆に、ワイドショーの世界がすべての世界だと思っている人間だ。こういう連中にとっては、素人うけがすべてである。これは、釣るのは簡単だ。

絶対玄人うけなどしそうもないバリバリ素人ウケ派の大衆バータレを、そのまんまヨイショして、玄人にも素人にも受けているオールラウンダーの非バータレを、玄人世界を除外した、素人のフィールドのみで圧倒し、すべての世界で、彼らより優位にたっていると錯覚させる。

素人2は、自分がそうおもっているのだから、皆もそうなんだろう・・と思い込む。スペシャリスト幻想ならぬメジャー幻想とでも言うべきか。結局、あっさりと釣られ、玄人は騙されないのは1のケースと同じである


素人2も、掲示板などで、いかにも皆が食いつくだろうと思われる、無難な”イメージいい、人気者のタレントさん”である、大衆バータレについて、おおいに盛り上がろうかと、これまた掲示板デビューを張り切るが、期待を裏切って、誰も食いつかず、これまた愕然とする。

自分の意見は、月並み、底が浅いなどと逆襲され、”〇〇は××の愛人なんだから、イメージいいのは当たり前!あんた、知らないの?そんなこと常識だよ”などと、思いがけない無いせりふを浴びせられる。そして逆に、自分のような素人の間では、きわめて評判の悪い人物が、玄人の間では、案外、評価が高いことを知る。最終的には、”こんな世界があったのか・・・・”と目からウロコが落ちる思いをし、素人から脱却するのも、これまた1と同じである。

総論

結局、バーニングに騙されて無駄な時間と費用を無駄にしたくなかったら、日光のサルと逆のことをせよ、つまり”見ろ!聞け!知れ!”ということである。

隣国に騙されて金を巻き上げられたくなかったら、歴史を知れ!先人に聞け!。
オレオレ詐欺やマルチに騙されて金を巻き上げられたくなかったら、法律や経済の根本的な仕組みを知れ!。
すぐ飽きる一発タレントに小遣いつぎ込んで、押入れにゴミの山を築きたくなかったら、芸能界の仕組みと、バーニングはじめマスコミ連中の、大衆心理の操作法を知れ!

ということ。