wasabi

現在、広末涼子とレノ主演の映画が放映されている。
この映画に対する、いわゆる肉体営業の類の噂を流していた工作員が、現在、ピンチに立たされている。作品の出来は別として、その世界配給という作品の性格上、論理の矛盾を隠せなくなり、いまや、話に説得力を持たせることが不可能となってきている。

wasabi 理由その1

この映画は、ごまかしのきく国内の単館上映作品ではなく、また、全国配給より大規模な、世界配給作品である。

一般的に、このような作品は、前述した小規模の作品に比べて、より失敗リスクは大きい、つまり、失敗することは許されないのだ。よって、キャストを選ぶ際、国内映画、ましてや単館上映作品とは比べ物にならないほど、キャストの選択はシビアになる。パッと見でキャストを決めるなどという、軽はずみなことはしない。キャスト候補の能力を綿密に調べ、吟味に吟味を重ね、それで起用するかしないかの決断を下す。これは、動く金の大きさの比較からいって、普通の人が、常識で考えれば理解できる範囲であろう。当然、彼女の出演作品は、徹底的に調べ尽くされているとみていい。もちろん、他の日本女優も、多数候補に上ったことであろう(当然、その中には”落選”したバータレ連中も入っているだろうと思われる)。

wasabi 理由その2

ベッソンが、彼女の出演作に、綿密に目を通していると推測されるもうひとの理由として、もともと、シナリオ自体が過去の彼女の作品をモチーフにしているということがあげられる。

この作品に出てくるヒロインの”少年院上がり”というキャラは、多分”リップスティック”が下地だろうし、”ヒロインの母の死によって、父が、成長した娘=ヒロインと会う”というストーリーは、”世界で一番パパが好き”の影響である。もちろん、成長した娘と父の出会い・・というのは、”鉄道員”、あるいは”秘密””愛なんていらねえよ。夏(愛なんて・・は、父ではなく兄となっているが、モチーフは同一である)”などでも共通して見られるように、少女時代の彼女の作品でとりあげられる、一貫したモチーフとなっているのは明らかである。ベッソンが、彼女を起用するということを決定した後、この、彼女の”裏に流れる、一貫したモチーフ”を彼が敏感に読み取り、彼女に合わせたストーリーを書き上げた・・というわけである。

とにかく、このようなことを、企画から完成まで、すべて彼一人のみの思いつきで推し進めるということは、はっきりいって、ありえないことである。いくらベッソンが、平均からはなはだしく外れた、おかしな趣味の人間だったとしても。

このような大規模な映画一本を作り上げるなどということは、周囲の人間の賛同がなければ、絶対に先に進まないたぐいのものである。ましてやバータレのように、金で役を買うだの、肉体営業で云々だの、そういう”小規模な”世界ではない。これらに比べて、金の流れは、比較にはならないほど大きい、キャスト出来不出来に、大勢の人間の浮沈がかかっているのだ。

とにかく、いくらこの映画が、彼自身の会社で製作したとはいえ、決定権を持つ関係者は、彼だけではないはずである。当然、周囲を納得させるに足る材料をそろえなければ、企画を先に進ませることは出来ない。その”材料”が、広末を綿密に分析したレポートであることは間違いなく、そして、それが十分説得に足る内容であったことも、企画が、実際に実現の運びとなったことからもかんがみて、間違いはない。

wasabi 理由その3

また、ベッソンが、キャスト選択に慎重になる理由として、彼の映画に期待されていることが、他の映画と比べて、やや特殊であるということがあげられる。

レオン等の作品以来、いつも、観客が”次に彼が発掘してきた少女は、いったい誰だろう?”と期待しているのだ。言葉は不適当かも知れぬが、彼の映画は、やや少女趣味の傾向を持つ人間達を対象にしての、いわば、お披露目キャンペーンの意味合いも持っているのだ。
これらの期待を裏切らないためにも、作品の内容は別として、ベッソンが、よくよくキャスティングに吟味しただろうということが伺える。

wasabi 総括


肝心の作品の出来は?国内では散々だといわれたが、海外では、一応、興行目標は達成している。これは、ベッソンの狙いどおりになったといってもいいだろう。この映画を、外れたと思っている欧米人は少ない。もともとこの映画は、日本とヨーロッパでは、期待されいる内容が異なっているのである。欧米では、アクション大作というよりは、むしろ、バンドデシネ(フランス漫画)的な見方をされていて、軽く受け流す類のものとして受け止められている。マジに突っ込みを入れることなど無粋なこと。逆に、軽く突っ込みを入れながら、ナンセンス部分はさらりと受け流すのが”粋”な見方であろうと。残念ながら日本では、そういう見方をされなかったが・・・

”世界中の人々が注目する大舞台に出るに当たって、女優は、世界に出しても恥ずかしくない、日本を代表するべき人材でなければならないのに・・しかし・・””こんな女が、日本女性の典型として欧米に見られてしまう・・・ああ恥ずかしい。”日本代表のオリンピック選手じゃあるまいし、そんな、肩肘はって見る必要はなかったのだが・・何しろ、この映画を見ている欧米人自体、この映画の性格上、そんな見方を一切していないのだから・・まあ、このこと自体、日本人が、”欧米の作品に起用されれば、すなわち日本を代表するに値する云々”といった、発展途上的ものの見方しかできていない現れであるのだから、仕方のないことと言えるのかもしれない。

欧米以外の国で、ある日本人が抜擢されても、その人物が日本に恥じない人物であるべきだなどと思っている人間など一人もいない、たとえその人物が力不足で、不適当だと思っても、気にしないであろう。もしかして”世界には、物好きな奴もいるもんだなあ・・”で済まされるかもしれない。それが、こと欧米に限っては、そういう見方しか出来ないというのは、まだ、日本が欧米の下であるという認識をしていることの現れであろう。

アミューズについての質問のへの返信

アミューズってバーニングとは関係ないんでしょうか?
アミューズのタレントって叩かれてるの聞いたことないんですけど、、、
関係あるのかな?


確か、新事務所(アミューズ)を立ち上げる際、バーニングの資金提供を受けたという話は聞いたことがある。サザンの初期曲の版権が、現在でもバーに握られたままであるのはその影響らしい。

資金提供、派手なプロモとの交換条件として、版権を手渡したということか・・・しかしそれ以後、アミューズがなんとか独り立ちできるようになってからは、距離をおき始めているようで・・
そのためか、中山美穂と共演した金城武の評価は散々だったし。しかし、これによって”中山共演”というリスクが大きくなってしまい、中山ドラマ自体のレベル低下を引き起こしたのだから、因果応報、自業自得というべきか。

最初から、まったくバーと無縁の事務所よりも、最初のころバーの力を散々利用しておいて、自分が力をつけていくにつれて、恩を忘れたかのようにバーと距離をおき始めた事務所の方が、”大きくなれたのは誰のおかげだとおもっているんだ!・・といった、”裏切りもの””抜け忍”的扱いをバーにされやすい。複雑な感情のもつれにより、はじめからライバル同士という勢力よりも、過酷な扱いをされやすい。これは、家元の独立問題などと、同じ根があるのかもしれない。

現在のアミューズの看板は、役者では福山、深津の両者、音楽ではポルノグラフィティあたりだと思うが、他のドラマ勢力、たとえば役者一筋のパパドゥ、女優一筋のフラーム、スターダストと違い、”主題歌バーター”をよくつかうという戦略は、バーニングと競合していると思う。

深津の出ている”大捜査線”で(病弱なはずの)水野や(最初はキャストにいなかったはずの)内田が、婦警役でレギュラーを狙ってきたのは明らかだし、福山自体、内田と(根も葉もない)噂がたったことがある。しかし、だからといって、意識してバーが切り崩しを狙っているのかどうかは、これだけではわからない。単に、人気ドラマのキャストに食い込みたかっただけ、福山の人気にあやかりたかっただけかもしれない。

フラーム(広末、小雪)や研音(江角、反町など)、ギザ(ビーイング系=倉木など)、サンミュージック(安達、酒井)まで行くと、明らかに切り崩していると、素人目にみてもわかるのだが・・・だが、アミューズはどうだか・・・



これは
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