法則発動時期

1999年初期

発動理由

主に[周防ドクトリン]のすべてに該当したからである。

周防ドクトリンその1との関連性 解説

バイアグラを手にした芸能界のドン、周防郁雄が、強制的に広末を強奪せんがため、バッシングを仕掛け、自分がバッシングをやめることの見返り(自分の系列事務所への移籍、利益供与、肉体接待)を望んだ。もちろん、広末を追い落として、ライバルにあたる自分の愛人達に、広末から奪ったエサを分け与えるという、パイの配分をも狙っていた。田中麗奈加藤あい鈴木あみたちバータレ三人娘に、職を分け与えるためというわけである。しかし、広末の事務所が彼女を譲渡しなかったため、彼は、さらにバッシングを激化させた。これが、1999年に見られた、広末不登校バッシングといわれる現象である。


当時、アイドル、女優の空いているポジションは、すべて、広末と深田恭子の二人によって占められていた。現在かなり売れている仲間や竹内でさえ、当時は、全く歯が立たない領域であった。これでは、さらに格下である、加藤あいなどの周防の”愛人たち”が売れず、日の当たる場所に出る手前で、さなぎのまま腐っていってしまう。ポジションは、二人から奪いとるしかない⇒(周防ドクトリンその1周防ドクトリンとは?・非バーニング叩き参照)。深田を潰すことは、周防の親友である和田アキ子が許さないだろうと思われるので、彼は、残る広末を叩き潰すことにした。また彼女は、格好の標的は芸映サンミュージックであるという、周防ドクトリンその1にもマッチしていたので、標的としてはなおさら好都合であった。

当時の社会常識

ある程度売れたタレントが、自分をもっと売り出してくれることの交換条件として、周防に肉体接待をすることは、芸能界内では、当時(1999年)ごく一般的なこととして見られていた。また、大衆が認めた、事務所の力で売れたの区別にかかわり無く、昔で言う”国民的スター”=芸能界でトップに位置する女性は、いずれ、周防が召し抱えることが不文律となっていた。周防を無視しつづけたままで、トップを維持できることなどできなかったのである。いわば、芸能人というものは、離陸に成功するくらいの、ある程度のブレイクまでいきつくと、対周防用のフリーエージェントという認識がされるわけである。周防は、芸能界の巨人軍、あるいはタウンゼント氏とでもたとえればよいか・・・ボクシングに詳しい人はわかると思う。あるいは大奥へのお輿入れなどをイメージすれば、感覚としては、あながち間違ってはいないだろう。
この常識、不文律をはじめて破ったのが、広末であったわけである。若いアイドル連中も後に、これに追随した。夜伽の楽しみを奪われた権力者連中は、さぞ戸惑ったであろうことは想像できる。

関係者の一般的な反応

当時の関係者は、誰もが、てっきり、広末が大学進学時にそれ(周防への”お輿入れ”)をするものだと思っていた。しかし広末は意外にも、それ以後も周防と一切接近しようとはせず、あくまで、自分の力のみで芸能界を生き延びていこうとした。この、前代未聞の行動に仰天したのが、当時の芸能関係者たちである。会話にしてみると

業界人曰く”あれれ、前例からいって、そろそろ広末も周防さんのお世話にならなきゃならん時期だろうに、どういうつもりだろう、彼女は?”
周防郁雄いわく”そろそろ、奴(=青木芸映社長)から、ウチが大事に育てた広末を、ひとつよろしく。。と、挨拶に来るころなんだがなあ・・”
というわけである。

広末がバータレとなれば・・メリットは? [#k7d69162]

広末がバータレ=周防の愛人となれば、周防から、広末のちょうちん記事、スキャンダル握りつぶしの要請がバンバン舞い込み、業界は大いに潤うことができる。広末が払うマージンが周防に行き、周防はタレントをヨイショしてくれた謝礼として、マスコミに気前よく金をばら撒く、周防を経由することによって、広末の稼いだ金が自分のところに還元されるのである。広末は、トップタレントだけあって動く額もデカイ。そして、周防ほど、払いのいい人間もいない。今までにない、最強のタッグが誕生するかと思われた。”そうなれば、俺達は十年は食っていける”業界関係者は、そう皮算用していた。

広末はどうしたか

しかし、そうはならなかったあくまで予想だが、彼女とその事務所は、周防に頼らずに芸能界で生きていく自信があったのかと思われる。しかし、ほとんどの芸能マスコミ人が、これを、広末サイドの”思い上がり”とみなした。何故か?

芸能マスコミの反応

”周防経由”がないと、広末がどんなに大金を稼ごうが、大部分は、彼女の所にプールされたままで、自分のところには流れてこない。芸映の青木を含む、芸能界のほとんどの事務所経営者は、周防に比べたら遥かにケチで、大儲けしたとしたら、周防ほど派手にばら撒かない。あれほど大金を持っていながら、大盤振る舞いする者などは、芸能界では周防以外にいないのである。

ヨイショの仕事も来ない。大金かけてヨイショなど、他の事務所は、たとえその資金を潤沢に持っていたとしても、金の無駄だとして、そう頻繁には行わないのである。

また芸能界のタレントのシェアの問題もある、”ケチ広末”が躍進をしつづければ、相対的に、”大盤振る舞いバータレ”は押しのけられ、芸能界での活躍の場も狭まってくると思われる。こうなったら商売あがったり。芸能マスコミに流れる金の総量が目減りしてしまう。

これ以上、芸能界でのバータレの比率を下げてはならない・・芸能マスコミ関係者は一人残らずそう思っていた。彼らは、自分の将来の飯の種の心配から”使えない奴”広末の、これ以上の台頭を危惧したわけである。ということで、周防の広末バッシングは、マスコミ人の利害とも一致していたのである


バッシング発動

しかし、あの時は”もしかして、広末は、進学を契機に、芸能界をやめてしまうんじゃないか?”とも考えられていた。そうであれば、もはや広末は脅威ではなく、バッシングなど必要ない。マスコミや周防は、もはや無害の”カタギ”となった広末を、そっとしておこうと思うだろう。しかし、あの時、彼女は依然として大学に積極的に登校しようとはせず、仕事も従来どおりとっていることにより、引退の意思が全く無いことは明白となってしまっていた。というわけで、引退説は払拭され、広末は再び周防にとって脅威の存在となり、バッシング第一弾が発動。以後、彼女に対して、猛烈な逆風が吹き荒れたというわけである。




周防ドクトリンその2との関連性 解説

あのとき、吉永小百合的な、世間の認知する”国民的”女優という称号を、マスコミが、広末に対して僭称させようとする雰囲気があった。これは周防の力の及ばぬ、大衆的な動きであったと思われる。当然、周防はこれを防ぎにいくであろう。