バータレになることによって何を失うのか?

バータレだっていいことばかりではない。当然、背負わなければならない十字架もある。搾取、肉体接待はさんざん言ったから、もういいだろう。もうひとつ、忘れてはならない重要なことがある。現場の人間関係である。


芸能人は、素人とより、同業者と触れ合う時間のほうが圧倒的に多いのである。どんなにマスコミでヨイショされているバータレであろうと、これは変わらない。同業者といえば、勿論、ウラの事情はすべて知っている。だから、素人相手の”振れ合いごっこ”と違い、マスメディアの虚飾は、ここでは効かないのである。参考 白ぺんぎん。⇒その2


というわけで、周防と親密になると、今までのようには、アイドル仲間とは親密になれなくなる。親しかった非バータレの親友も、離れてしまうことが多い。その心理としては、普通の会社で、仕事仲間が社長の愛人になったと知って、なおかつ、その女が、その権威を傘に着て、社内で、大いに権勢を振るいはじめたのを目にしたときの、同僚OLの反応と同じようなものと考えればわかりやすい。はっきり言えば”卑怯な女”という見られ方をされてしまうのである。

彼女達を見るたびに、非バーは心の中で”ふん、私は、この女みたいに、ちょっと圧力かけられたくらいで、周防にホイホイ股開かなかったもんね。ホント、根性無しなのよこの女・・”という差別のせりふでも思いうかべているのだろう。これじゃ仲良く出来るわけがない。というわけで、仕事中は、精神的に参ってしまうバータレも多いようだ。

非バータレは、マスコミでの冷遇により、事情を知らぬ世間や親戚縁者から孤立し、反面、バータレは、事情を知り尽くした仕事仲間から孤立するというわけだ。結局、バータレになるということは、周防の歓心を得て、貴重な友人を失う・・という、トレードオフの選択といえる。


交友を失う例として、加藤あい深田恭子はかつては親友だったが、加藤が”抱っこ写真”などによって、周防の愛人になったことが公になりはじめると、深田は彼女と距離をおきはじめてしまう。


バーニングに”転んだ”ということは、なりふり構わぬ、あらゆる犠牲を甘受する覚悟があるという,追い詰められた状況の現れ、或いは、実力勝負のフィールドから逃げている、自信のなさの現れつまり意志の弱い行為であるとされ、”こんな、臆病で卑劣な奴にかかわると、何されるかわかったもんじゃない、あのバーにはいったくらいだから、手段を選ばないであろう、もしかして自分も踏み台にされてしまうかも・・・・・”と警戒されてしまうのである。おそらく深田もそう思ったのだろう。※この心理も、偏見といえば偏見といえる。しかし、蔑視されるべき理由がちゃんとあるのだから、これは仕方がない。

勿論、”引き抜き”でなく、デビュー時から一貫してバータレという奇特な芸能人は、芸能仲間との間で交友関係を築くことなど、はなっからからできない。事実上、社交界の門戸を閉ざされているというわけだ。だが、それを重々承知で自らバーニングに入ったのだから、同情する筋合いはないのである


※深田の杞憂は的中。実際、彼女はそれを行ったのである⇒参照は製作中
※非バーニングの友人が”この人は、周防と近しいので、なにかと自分を守ってもらえるかもしれない”・・と思うので、かえって友達を作りやすいのではないか?と思えるが、深田の事務所は、バーニングの引き抜きなど絶対にありえない大手のホリプロ。弱小ならともかく、わざわざバーとコネつけるメリットなど無い。こういった場合、中途半端に近づくと、あとあと面倒なことになる。大手ならば、バー距離を置くなら徹底的に・・というのが、業界のセオリーなのである。


だが、大手ではなく、引き抜きに現実味がある中堅規模であると、そのような期待をする者もいるようだ。


だからその点、中堅どころでなおかつ周防の標的であるサンミュージックの酒井は、工藤との親交という誘惑に抗しきれなかったのもうなづける。酒井と同じような立場である、芸映系の広末も、あのとき、金子賢を前にして、酒井と同じ心境にあったのだろうと想像できる。この心理は、他の弱小事務所所属のタレントもおなじだろう。