ドキュン帝国の緩やかな崩壊

ローマ帝国が、すべてのシステムをローマ人を対象としていた時代から、拡大を続けるうちに、次第にそれだけでは立ち行かなくなり、システムの対象がローマ人以外も内包せざるをえなくなってきたとき、初めて崩壊の兆しを見せ始めた。拡大の限界、いわば宿命といったところだろう。バーニング帝国も同様。
バーニング帝国(インペリアヌス=バーニンギア)も、いわば初期ローマにおけるローマ人=ドキュンのみを基盤としていた、地方国家であった。ドキュンの、ドキュンによる、ドキュンのための国家であった。すべてはドキュンのみをターゲットにしていた。低賃金層である、ドキュンのみ心に響く安価な低俗雑誌、ドキュンのみ購買層とした、すぐに飽きる音楽、無料で見られるCM、ワイドショー、すべて、彼らのような人間が手に届きやすい、無料、あるいは安価なものばかりである。ローマ帝国と同様、こういったジャンルを”占領”し、”アガリ=収穫”を求め、放射線状に収束する、カエサル道ならぬ、スオー道を通じて、すべての収穫を、首都ローマのためならぬ、首都アカサカバーニングのために使う・・・ローマ帝国の、数々の衛星諸国、植民地ブリタニカ、ガリア、リビア・・・同じくバーニング帝国も、多くの衛星諸国、植民地を持っていた。レヴィア、ビッグアップリア、トヨタオフィシア、その他多数・・・そしてそれによって生み出された、パックス、バーニンガーナ(バーニングによる平和)も。

しかし帝国の宿命、無限拡大路線を続けるうち、ドキュン以外の人間も、ターゲットにせざるをえなくなってきた。大衆ジャンル以外の、ガチガチのカルテルを誇る分野・・・舞台芸術畑、歌舞伎、狂言などの伝統芸能畑、文芸映画畑・・・こういったジャンルに進出しなければ、拡大はおぼつかない。しかし、こういった国家の住民は、ドキュンではない。全くの異民族である。中期ローマのように、徹底的に滅ぼして占領するか、それとも後期ローマのように、システムの一部として彼らをとり込み、ローマのシステムに、緩やかに内包させるか・・・・同様のジレンマに立たされたわけである。
ドキュン帝国=バーニング帝国のとったプロセスは、結局ローマと同じものだった・・・・ゲルマン人同様、ドキュン以外の異分子の内包が、必然的に、芸術性などといった、”画一的なマスコミの、対ドキュン報道”とあいいれない色を出さざるをえなくなって、統一性を失ってしまった。ドキュン畑以外のジャンルでは、高額所得層、芸能芸術に造詣の深い層、こういった層に都合のいい報道とは、下衆なドキュン報道と、時に相反するものとなる。というわけである。

これがドキュン帝国(インペリアヌス・ドキュニア)=バーニング帝国の崩壊を生み出した。ローマと同様、統一性の崩壊=それから生まれる、個々の民族にとって相反する矛盾=大崩壊の引き金・・・・・
歴史は繰り返すものだ。

宝○社に食い込んでいたバー○ング

「Jポップ」という言葉を広めた、別冊宝○の、”音●誌が書かないJポップ批評”シリーズ。実は「音楽誌が書かない・・」のではなく「宝●とは違い、バーニングの力などが及んでいない雑誌は余りにもバカらしくて書かない・・・」なんだが、それはおいといて、とにかく、”過剰露出メディアいじられ系”ともいえる、いまいち立場があやふやなバー系アーティスト連中にとって、この「Jポップ」というカテゴリは、誠に便利な言葉であろうと想像できる。バンドの本格派から、鈴木あみ、宇多田、スピードにいたるまで、ファミリーでは、小室もつんくも伊秩も、みんなまとめてJポップ・・確かにバーの連中にとっては、”まとめ売り”ができて楽だろう。

やはり、バーに遠慮しているメディアに普遍的にみられる、”素直にほめりゃあいいものを・・・何で?”的な、いささかひねくれた論評が多い。標的は言わずもがな、非バーの星、宇多田、広末たちなのだが、彼女達と少々キャラがかぶりながらもスタンスが対照的なキャラクターである、特定のバー系歌手に遠慮しているのがありありとわかって、今となっては非常に見苦しい。



”Jポップ批評2”からの内容を、試しに取り上げてみると

鈴木○み(小室)、モ○娘(つんく)、ス○ード(伊秩)のように特定のファミリーに属している人物と違って、不特定多数の大物(当然非バー)の提供を受けている広末は、本人の顔が見えてこない・・・一応、アルバムの水準の高さは褒めてはいるが、一人のプロデューサーに一任させよ、女優の余技と見透かされているようで不快・・・と言い切る。確かにいえてるんだが・・・
だがこれは、プロデューサーこけたら皆こけた、というような、リスクヘッジをまるでしていないバー連中に対する、遠慮以外の何者でもない・・だろう。鈴○は小室がこけたら、いや歌手活動そのものがこけてしまったらどうするのだ?つんく一人に依存しているモー娘は?同じく伊秩のス○ード、Deepsはどうなのだ?
確かに言っていることは、当たっているともいえなくは無いんだが・・・だからといって広末のことをここまで言っておいて、「全然歌が上手くない鈴○あみは小室の上でのびのび楽しんでいるようで、見ていて心地よい」「つんくプロデュースのアイドル作品には、問題もあろうが、作品の出来不出来が自分に跳ね返ってくる覚悟が、ちゃんと作品を貫いているのだ」と、ここまでいう必要あるんだろうかと思うんだが、どっちみち今となっては、リスクヘッジの無さゆえ、一人残らず消えてしまった方々であるので、笑って済ませてしまいましょう・・・かな。
どっちみち、ほかにも、「和製ローリン・ヒル、沖縄出身を背景に、安○を貫くブルースの素」だの「男なら全員M○X好きでしょう!テレビにM○Xが出たらオヤジは全員画面に釘付け!」「吉川○なの、本人作曲のウサギちゃんSAY GOODBYEは名曲だった。彼女の声は捨てがたい」(その他突込みどころ多数)・・・どうせ、ふざけて書いたんだろうと思われる、突込みどころ満載のこれらの記事を冷静に読むと、「それにしても、今考えるとあの時代って、なんだったんだろう・・・でも、なんだか記者って大変なんだなー」という感想しか、沸いてこない。