時代背景の観点から<その4>

>>”ホモと正常を使い分ける、両刀使いが、
 いかにも好きそうな女”(時代背景<1>を参照)について





私も、女性に全く興味のなさそうな友人がいて、
ホモではないかという疑惑をそらそうとしているらしく
時々、グラビアやネットを見ながら”この女いいよなあ”と
私にいってくるのだが・・・


そういった”彼女達”は、一応売れてはいるのだが
決まって、私のストライクゾーンから
思いっきり外れている代物ばっかりであった。


どうやら私のような”ノーマル”な男性にとって、
どのような女性がグッとくるか、
どういった、女性のしぐさ、シチュエーションにそそられるかが
全くわかってないらしい。
つまり彼は、自分がぐっとくる女ではなく、
”自分が、世間がぐっとくるだろうと思われる女”
を選んでいるのである。ケインズ美人投票と典型といったらいいか・・・


よく、合成写真で平均を取った顔ほど、皆が美しいと支持する顔だ
と言われるが、彼の持ってくる女が、まさにそれなのである。
確かに美しく、けちはつけようがないのだが、
何となく当り障りがないというか、無難というか、
とにかくグッと来ないのである。
私もやはり、ああ、これは、
ある人が、熱烈に好きになる度合いが大きいという顔ではなく
世間に、好きな人が多そうな顔だな・・と思う。


私が思うに、これが
周防の選択眼と全く同一なんである。


たとえば

  • 私、
  • あるいは、私と女の好みで意気投合する男
  • あるいは反対に、私と女の好みで持論をぶつけ合って対立する男


こういった連中は、周防や私の友人のように、
世間で売れる女というものを選ぶことが出来ないだろうと思う。
何たって、選ぼうとすると、自分の”好み”がどうしても入ってしまう。


しかも、人の好みというものは千差万別、
それがマジョリティーであることは稀である。


私を含む、こういった連中を多数集めて、多数決をとる
あるいはそれぞれの一押しをポイント制にして合計をとる
そうやって一番のものを売り出すということにしても
多分、失敗するだろうと思う。
個人の好み、その合計、多数決・・・
それが、個人の好みの精髄ではない。したがって
それを満たしているものが、必ず売れるわけではないのだから。


だから、私たちみたいな人間は、芸能プロダクションの運営には
向いていないだろうと思う。やったら、たぶん失敗するだろう。



しかし、周防はそれができるんである
あるいは、そのホモ疑惑のある私の友人も・・