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wasabi 理由その2

ベッソンが、彼女の出演作に、綿密に目を通していると推測されるもうひとの理由として、もともと、シナリオ自体が過去の彼女の作品をモチーフにしているということがあげられる。

この作品に出てくるヒロインの”少年院上がり”というキャラは、多分”リップスティック”が下地だろうし、”ヒロインの母の死によって、父が、成長した娘=ヒロインと会う”というストーリーは、”世界で一番パパが好き”の影響である。もちろん、成長した娘と父の出会い・・というのは、”鉄道員”、あるいは”秘密””愛なんていらねえよ。夏(愛なんて・・は、父ではなく兄となっているが、モチーフは同一である)”などでも共通して見られるように、少女時代の彼女の作品でとりあげられる、一貫したモチーフとなっているのは明らかである。ベッソンが、彼女を起用するということを決定した後、この、彼女の”裏に流れる、一貫したモチーフ”を彼が敏感に読み取り、彼女に合わせたストーリーを書き上げた・・というわけである。

とにかく、このようなことを、企画から完成まで、すべて彼一人のみの思いつきで推し進めるということは、はっきりいって、ありえないことである。いくらベッソンが、平均からはなはだしく外れた、おかしな趣味の人間だったとしても。

このような大規模な映画一本を作り上げるなどということは、周囲の人間の賛同がなければ、絶対に先に進まないたぐいのものである。ましてやバータレのように、金で役を買うだの、肉体営業で云々だの、そういう”小規模な”世界ではない。これらに比べて、金の流れは、比較にはならないほど大きい、キャスト出来不出来に、大勢の人間の浮沈がかかっているのだ。

とにかく、いくらこの映画が、彼自身の会社で製作したとはいえ、決定権を持つ関係者は、彼だけではないはずである。当然、周囲を納得させるに足る材料をそろえなければ、企画を先に進ませることは出来ない。その”材料”が、広末を綿密に分析したレポートであることは間違いなく、そして、それが十分説得に足る内容であったことも、企画が、実際に実現の運びとなったことからもかんがみて、間違いはない。