何故マスコミの信頼がなくなったのか

世間が、マスコミを何故信用しなくなってきたのかというと
松田聖子のバックダンサーの、チンコ騒動に端を発している。

ジェフ君のネタがある程度成功したことを目の当たりにした、松田の利権を常々狙っていた周防とマスコミが、次にシナリオを書いたのがこれである。今思えば、ジェフの例で、世間なんて簡単にだませるものだと思い込んで調子に乗りすぎた。あそこでやめとけばよかったのだ。

ジェフの次はこれだ!聖子の下半身事情第二弾を打ち上げるぞ!

松田聖子とやりすぎておちんちん痛くなっちゃったーーー
みんな、松田にこき使われて、可愛そうなボクのチンコに同情してーー”

世間の人々は一人残らず、バックダンサーのチンコに哀れみの目を向け、一方、松田を嘲笑することだろう。しめしめ。記者たちはほくそえんだ。

しかし・・・・





世間の嘲笑を受けたのは松田ではなく、バックダンサーのチンコの方であった。そして”あんたもたいへんねぇ”と世間の同情を受けたのは、逆に、松田の方であった。

そんなに嫌なら、さっさと松田と契約解消して、ほかのタレントと仕事すればいい。どうしてそれをしなかったのだ?余程無能で仕事がこないダンサーなのか?それとも、松田と離れることをしなかったのは、このいきさつが、でっち上げだからなのか?
セックスにまつわるいざこざは、あくまで当人同士でカタをつければいいことであって、その方が手っ取り早い。どうしてそうしなかったかというと、やはり、トラブル解決以外の、たとえば世間を騒がせて松田を陥れるとか、何かしら、他の目的があるのだろう・・・世間の人間はそう思ったからだ。

世間は、記者が思うほどバカではなかったのだ。逆に、このいきさつにより、松田が消えることもなかった。松田も変なのばかりに言いがかりつけられて、大変だな・・人気も実力もある証拠なんだろうな・・・と、世間は、逆に松田を認めることになった。まあ、他にもマネージャーの暴露騒動とかいろいろあったけど。本人は、必死に、これは売名ではないと訴えていたが、今となっては・・・・

多分、記者も半分ふざけていたんだろう。これを本気にして、抗議の電話をかける大衆の姿を見て、それを笑う。自分の扇動によってだまされるのを哄笑して、仲間と酒の席の、ネタにでもしたかったのだろう。”おいおい、アレをマジに受け取って、抗議の電話かけたバカがいたんだってなあ・・・ハハハ、書いてる俺達だって受けねらいで書いたのに本気にすんなよって、俺達だって、周防さんからたのまれて仕方なく、商売だって割り切って書いてるのにさ。まったく周防さんも無茶苦茶でしょうがねえよなあ。だから自分でも楽しめるくらい面白おかしく書かなきゃやってられないよ”とか何とかいって・・・実際、そこまで盛り上がる事は無かったが。

だから、このような、書いている人間でさえ哄笑しているネタごときにだまされる人種というのは、余程のバカであって、多分、教祖の空中浮揚とやらを真に受けて、オウムに入信するレベルの人間と同程度であろう。それは、この芸能人は、あんなに「世間を騒がせたのだから叩かれて当然だの、まったく鵜呑みにして思考停止に陥っている人種にもいえることだ。まあ、今はネットの発達によって、こういった”マスコミ鵜呑み派”は知能の低い、かっこ悪いという認識をされ、インテリっぽい、頭よさそうな”マスコミ不信派”にすっかり押されて、すっかりマイノリティーとなってしまただろうが・・・

世間が騒いでいるのではなく、周防が世間を騒がせている。世間を騒がせているのは、周防ただ一人。だからそれにのせられている人たちも、浅原ただ一人にのせられているオウム信者と同様、洗脳されている・・”鵜呑み人間”は”わかっている人たちに”一般人がオウム信者を見る目と、同じようにみられているということだ。”この人、何にも知らないで、あーあ、ザマねえなぁ・・”と、こういうことである。