時期

2001年中期

発動理由

主に[周防ドクトリンその2]に該当したからである。

周防ドクトリンその2との関連性 解説


前回の大学不登校バッシングは、国民的〇〇”の称号を、ナポレオンの時のように、大衆が勝手に広末に与えそうになったことに対して、朝廷やローマ教皇のような”正式推戴者”である周防が、危機感を抱いたことにより勃発した。今度の広末プッツン叩きの争点は、”国際的〇〇”の称号のほうである。


当たり前だが、海外の映画監督などは、周防達の都合など関係ない。あくまで、自分の気に入った子を起用する。あの時は、いきなり広末に白羽の矢が立った。広末は、以後、海外メディア、大衆からは、国際的女優という目で見られるだろうと予測された。

事実上、周防が支配している国内マスコミでは、当然、認めにくいことである。しかし、国内マスコミで正式に認めずとも、”世間の間で、これが既成事実化してしまえば、広末は、事実上の国際派”となってしまう。こうなったらマスコミは、いくら周防配下とはいえど、この流れを事後承認するしかない。




これは秩序の逆転を意味する。そこで、こういった時には、正室に、ポジションを穏便に”譲り渡す”ことが、不文律となっている。当然、広末の場合も、同期で”上位”である観月ありさ藤原紀香あたりに、ポジションを”お譲り”しなければならなかったはずである※。要は今まで、周防ドクトリンその2を、バーニングだけでなく、業界全体で遵守していたということである。正妻を差し置いて、側室が先においしいエサにありつくことなど、許されなかった・・というわけである。

※といっても、wasabiのヒロインを、藤原や観月にやらせろ・・というわけではない。”国際的女優”のレッテルが、自分に及ばぬよう、行動は控えめにせよということである。そうすれば、相対的に、正室たちのランクも維持できるというわけである。




しかし、広末が、この”側室としての謙虚さ”を見せることは無かった。マスコミは、彼女がフランス映画に出演したことは、ごく当然の成り行きとしてみなした。本人のコメントも、そのようなニュアンスであった。世間の雰囲気としても、そのとき、藤原の存在などは、まるで念頭には無かった。


”ポジション”を譲ってもらえなかった藤原のりかは、国際舞台において、チンケなアジア映画でお茶を濁すこととなった。wasabiも不評だったが、藤原の映画はそれ以上で、客も不入りだった。観月には、そんな話さえ来なかった(同期の傍流バータレである宮沢には、バンバン来ていたが・・・)。

こうなると周防だけでなく、正室たちの嫉妬も、並ハンパじゃなくなってくる。なにしろ、彼女達は、広末と同じように、監督にアピール工作し、或いは色仕掛けで近づき。てなことをして、全部失敗していたのだから、よけいだ・・・それを、手段はともあれ、側室の広末が、あっさりと成功してしまったわけであるから・・

一方広末の成功は、世間的な見方では、正妻と側室の立場の逆転を意味する。前述したように、この流れは、いずれマスコミにも波及してくるだろう。そうなると、実績の無いはずの藤原などを、国際的に通用する女優としてもてはやし、一方、確たる実績があるはずの広末を認知しないという、かたくななマスコミの姿勢は、いつしか、世間から浮きあがってしまうだろうと予想された。大衆からは、不満の声もあがってくるであろう。こうなると、マスコミも渋々、広末を”事実上の正妻”として認めざるをえなくなり、またもや、”事後承認されそうなナポレオンの登場パターン”が出来てしまう。

このままでは、正妻たちの面目が丸つぶれとなってしまうではないか・・もちろん、彼女達の”飼い主”である自分の面目も・・これは、秩序破壊ではないのか??彼はこう考えた。そこで彼は、この現状を”周防ドクトリンその2”にまるまる該当する事態だと考え、法則を発動させたというわけである。

法則発動の結果

結果的には、wasabiはそれほど成功せず、周防が広末を叩かなかったとしても、広末は、以後、国際派女優のネームバリューを武器にして、たいして躍進はできなかっただろうと思われる。周防の恐れは、杞憂に終わったというわけだ。
それゆえに、このプッツン叩きは、広末に対して威力過剰になってしまい、あからさまな弱いものいじめを見せ付けられた中立の勢力は、不安に陥った。結局、この騒動は、彼ら日和見勢力をバーに引き寄せるどころか、反バーニング勢力として一同に結束させる絶好の機会を作ってしまったという、とんだヤブヘビ※となってしまったのである。

※とんだヤブヘビ・・参考リンク