時代背景の観点から<その1>

ogiteenaniさんの質問

>そして、そもそもこの周防いくおという人物
どのような過程を得てこういう存在になったのでしょうか?


これをすべて説明すると、ナベプロ全盛時代の芸能界、
または、周防の政治家専属の運転手時代から
話さなければならなくなってしまう。

きりがないし、もっと詳しい常連やサイトはいくらでもあるので
別の観点、社会学的観点から話をしたいと思う。





80年代頃からだと思うが、彼の押すバータレに代表される、
”ホモと正常を使い分ける、両刀使いがいかにも好きそうな女”が、
社会の市民権を得てきたからではないかと思う。


それまでは、男の好きそうな女、
女の好きそうな男しか支持されなかった。
ターゲットが、異性しかいなかった。


しかしその傾向が、80年代からかわってきた。


理由はいくつかある。


国際的に見て、同性が好きな女というものは、
前近代的で、男に都合のいい、排斥すべき対象である
といった論文が文科系学問などのフィールドで湧き上がり、
ジェンダーフリー論議がもりあがってきた。
また、映画の登場人物を
フェミニズム観点から分析して論文を書いたり※1
赤は女色というのは国際的水準ではなく、
日本だけの風習なので排斥すべきだ※2・・などといった
格好の飯の種を見つけた文化人がこぞってこのフィールドに
乗り出してきた。こういう背景があったからだと思う。


 ※1フェミニズム観点から分析して論文を書いたり
   >>彼らは、架空の世界の人物であって、実在の人物や、
   道徳教科書の主人公じゃありもしないのに
   本当は、そういった、批判の対象になどなるわけが無いはず。
   作者は、反面教師をふくむ、あくまでも
   物語の登場人物としてかいたわけであって
   模範として書いたわけではないのだから・・・
   たとえ批判されるべき行動、性格をもっていたとしても
   何ら批判される筋合いではないはずなんだが・・・

   たとえば、フェミニズムからははずれるが 
   海外から来た留学生が、某ドラマでの、
   北条時宗のリーダーシップの描き方を批判していた。
   しかし作者は、時宗を、まさに欠点もありながら、
   その”人間は完全ではない”ということに悩み苦しみながら
   戦い抜いた人物として描くのが目的だったわけであって
   批判はお角違いであろう。
   万国共通である”物語”としての骨子と、
   現実の日本社会の傾向を混同して、
   日本社会を云々・・とウンチクをたれていたら、
   それは、留学生の勘違いもはなはだしい。
   (まったく、日本まで来て何やってんだか・・・)

   もしこれが許されないのなら、物語の登場人物は
   すべて、欠点が一つも無く、
   完全な人物として描かねばならないだろう。
   仕事にミスするシーンも許されず、人間を弱く描いてはいけない、
   そんな話は、フェミニズム文化人の満足は得られるだろうが
   つまらなく、なんの奥深さもなく、したがって物語とはいえない。

   しかしこんな、何とでもいいようができる
   架空の世界についてあれこれ言って飯がくえるんだから
   文化人という仕事はやめられないわなあ。
   
 



※2赤は女色というのは国際的水準ではなく、
  日本だけの風習なので排斥すべきだ

   >>ランドセル、トイレの色の性差などは
   この論旨にのっとれば、日本でしか通用しない
   非グローバルスタンダードなシロモノなので
   けしからんということになる。
   これを、すべての事柄にたいして敷衍していけば
   日本独自で、女性しかやらない着こなしなどの風習は、
   国際水準ではないのですべて廃止せよ・・・と
   そういうことになる。正しいか?これって。